日本の教育危機はなぜ起きたのか? 「教育改革」という名のもとにおざなりにされた学習指導の基本【西岡正樹】
子どもたちや教師にとって〝面白くて魅力的な教室〟とは何かが分かる
◾️「自分のことをきちんと話せない子」が近年増えている!?
自分の言葉で自分の思いを語るということは、自分のことを自分でしようとすれば、必然的な行為だ。昨日もリタイヤして再任用された教師と話しをした。
「自分のことをきちんと話せない子が、自分たちが現役の頃より増えているように思うんだよね。目の前にやってきてモジモジしているから『どうしたの? どこか痛いの?』と訊くと頷くんだけど、その先が出ないから「頭が痛いのか?」とか聞く羽目になる。その繰り返しだよ」
「話せない子は昔から一定数いるでしょう?」
「その割合が増えているんじゃないかな」
そこで先月、授業を参観させてもらった折、授業者が次のように話してくれたことを思い出した。
「『実験している間にいろんな現象が起きたでしょう。その現象を観ながら思い、考えたことがあったんじゃないかと思うけど、その自分の思いや考えを話してください』と伝えても話す者がほとんどいないのが、現状です」
「自分のことを自分でする」=「自治の心」は、受動することが当たり前のような状況の中では育たないのだ。
自分のことを自分の言葉で語ろうとしない子どもたちは、目の前の出来事が自分事ではないのだろう。いや、自分のことだが、自分事として捉えられていないのかもしれない。何故なら、上記のように自分に何か起きたとしても、身近にいる両親や先生が察して解決してくれることが多いからだ。
1947年に学校教育法が施行され、6・3・3・4制が始まってからこれまで、教育改革という名のもとに、多くの改革が行われてきたのだが、その始まりを紐解いてみると、実に興味深いことが分かった。